【武士道 part6】 ~第二章その3 武士道の源はどこにあるか『儒教編』 ~

※新渡戸稲造著「武士道」を、私なりに編集してお届けしています。

武士道の源泉 ー
それは三つの思想・宗教・哲学が合わさったところから湧き出でました。
その三つとは、仏教・神道・儒教です。
武士道は、この三つが合わさった日本特有のハイブリッドな道徳観だったようなのです。
それでは今週も、新渡戸稲造氏の言を灯明に、この道を解き明かしていきましょう。


今回は儒教編です。

『孔子を源泉とする武士道の道徳律 ー
武士道は、道徳的教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった。
君臣、親子、夫婦、長幼、朋友についての[五倫]は、儒教の書物が中国からもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたものであって、それを確認したにすぎなかった。中略
孔子の貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に著しく適合したのだった。
加えて孔子についで孟子の教えは、さらに武士道に大いなる権威をもたらした。
孟子の強烈で、ときには極めて民主的な理論は、気概や思いやりのある性質の人には特に好かれた。後略』

私は、儒教には疎いので、なるべく新渡戸氏の言葉に耳を傾けていきたいと思います。
皆さんなりに感じ取っていただけたら幸いです。

「武士道は知識を重んじるものではない、重んずるものは行動である。」
『武士道が目指す「知行合一」の思想 ー
武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならないものと考えられた。
このソクラテス的教義は、中国の思想家・王陽明が最大の擁護者となり、彼は知識と行動を一致させるという意味の「知行合一」なる言葉を生み出した。中略
西洋の読者ならば、王陽明の著述の中に、「新約聖書」と同じ内容の箇所が多くあることを認めるであろう。中略
「まず神の国と、神の教義を求めよ。
さすれば、これらのものは皆加えて与えられる。」という一節などは、王陽明のほとんどのページにも見ることができる思想である。
だから陽明学派の弟子の一人(三輪執斎)はこういうのだ。
「天と地と、あらゆるいきものの神は、人の心の中に宿り、人の心となる。
ゆえに心は生き物であり、常に輝く」と。
そしてさらに「われわれの本質的存在の精神的な光は純粋で、人間の意志に左右されない。
われわれの心にひとりでに沸き起こり、正しいものと間違っているものを示し、それが”良心”と呼ばれるものだ。
天の神から出でる光である。」中略
日本人の心性は、神道の素朴な教義で見たように、王陽明の教えにとくに適していると、私には思われる。』

私はここに、アポロン的なものを感じます。
それは、明朗で活動的なキッパリ、ハッキリとした性質です。

そして儒教は、武士道に徳目としての道筋と形を与えました。

そこに私は、儒教が武士道にもたらした”太陽”としての役割を感じます。

武士道を構成する三大要素、源泉についての章は、今回で終わりとなります。
最後に、新渡戸氏の以下の言葉で締めくくりたいと思います。

『このように、その源泉が何であれ、武士道がそこから吸収し・わがものとした本質的原理は単純で、決して数多いものではなかった。
だがたとえそうであったとしても、それはわが国の歴史上、もっとも不安定な時代の、もっとも危険な日々にあっても、武士にとっては十分に安息安全の処世訓となるものであったのだ。
わが国のサムライが持っていた健全で純朴な性質は、古代思想の本道や脇道から拾い集められた平凡で断片的な教えの束にすぎなかったが、それらは精神の十分な糧を引き出した。
そして、これらの寄せ集めの束の中から、新しい独特な男らしい型の人間形成をなし得たのである。
いわば、それが武士道の芽生えだったのである。』

さて次回からは、いよいよ”武士道の七つの徳目”についてお伝えしていきます!
『義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義』
まずは「義」からです。

それでは来週もお楽しみに!

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