【武士道 part 12】 ~第八章「名誉」命以上に大切な価値~

はい!始まりました!
今回は「名誉」です。

「名誉」それは…
武士にとって、"命以上に大切な価値"
だと新渡戸氏は言います。
新渡戸氏が本書で言明しているように、名誉の反対は恥です。
では恥とはなんなのでしょうか?
新渡戸氏の声に耳を傾けてみましょう。

『「人としてもっとも大切なもの、これがなければ野獣に等しい」という思いは、当然のこととして、高潔さに対する屈辱を恥とするような感受性を育てた。
そして、この恥の感覚、すなわち廉恥心はサムライが少年時代から最初に教えられる徳の一つであった。
「笑われるぞ」「名を汚すなよ」「恥ずかしくはないのか」と言った言葉は、過ちを冒した少年の振る舞いを正す最後の訴えであった。』

こういった引用もありました。
「恥は、あらゆる徳、立派な行い、よき道徳心の土壌である。」カーライル

つまり名誉とは、高潔さであり、恥はそれを守る道徳的防御線なのですね!
しかし、その高潔さへの思い入れの強さゆえに、過度な行為に至らせる危険性もはらんでいたようです。
それに関して、新渡戸氏はこう書き記しています。

『繊細な名誉への感覚が、病的ともいえる過度の行為に陥ることに関しては、寛容と忍耐の教えがそれを食いとめる働きをした。
ささいな刺激で怒るものは[短気]として笑い者にされ、よく知られた諺にも「ならぬ堪忍、するが堪忍」というのがある。
あるいは偉大な武士であった徳川家康は、後世の人に「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。堪忍は無事長久の基。己を責めて、人を責むるべからず。」との教訓を残している。後略』
とは言うものの、そう簡単にはいかないのが「名誉」というもののようです…
さらに新戸部氏の言葉に耳を傾けてみましょう。

「しかしながら、このような寛容、忍耐、寛大という精神を崇高なる高さにまで到達せしめた者は、ごく稀であったと言わねばならない。中略
多くの武士はおよそ侮辱に対してはただちに怒り、死をもって報復した。
これに対して名誉は、たとえそれがただの見栄や世間の評判に過ぎないようなものまでも、この世における最高の善として尊ばれた。
それゆえ、サムライの若者にとって追求しなければならない目標は、知識や富ではなく、名誉を得ることだった。後略」

なるほど…現代の日本における名誉欲が、高潔さとはだいぶ切り離されてしまっているのかもしれないけれど、サムライ達のうちにも、ある種人間臭い欲望が名誉を得るという行動に駆り立てていたのでしょうね。
とくに血気盛んな若者は。
うおーやったるでーっと!
それはいつの時代も同じですね!
しかしサムライにとって、恥の意識こそが、その名誉欲を横道に逸れすぎないよう矯正していたのも事実ではないでしょうか🤔

さて、ザックザクと簡単にはまとめられない「名誉」。
それは人の欲望とも、高潔な徳とも言えます。
どちらにしても、その徳目を守ったものは、どうやら"恥"のようですね。
しかし、現代の恥の意識は、あまりに行動を抑制させてしてしまっているように思います。
昔の人は血気盛んだったから、恥がブレーキとして働いていたのかもしれませんが、現代ではおとなしい人が比較的多いので、もっと恥はかき捨てで挑戦しまくった方が、いいように個人的には思います^ ^
何事も、バランスですね!
…というとすべてが丸く収まる魔法の言葉😆

はい!今回はだいぶ長くなりました。
次回の徳目は…
きました「忠義」です。
現代では一番理解しがたいヤツですね笑
それって封建社会のある種の洗脳的なものなんでしょ?
そんな声が聞こえてきそうです。
どうなんでしょうか?
私も気になります^ ^

ではでは、次回もお楽しみに‼️

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