【武士道 part 16】 ~第十二章 切腹と仇討ち 命をかけた義の実践~
※新渡戸稲造著「武士道」を、私なりに編集してお届けしています。
「名誉が失われたとき、死ぬことは救い。
死は不名誉からの確かな隠れ家。」英国詩人 ガース
新渡戸氏は本章にて、この詩を引用しています。
確かにこの詩に「切腹」についての結論が述べられているように感じます。
皆さんも、映画やドラマなどで切腹のシーンを観たことはありますよね。そこでみなさんはどう感じますか?
「畏怖」と「壮絶」
わたしはそれらを感じます。
そして、尊敬の念すら感じます。
それは自殺に対するではありません。
人間の一番の恐怖である
「死」を冷静に受け入れて
自らの手で腹に刃を立てて切り裂く。
一言でいえば「なんてことだ!!!」
素直に驚嘆します。
「切腹に必要なのは極限までの平静さ」新渡戸氏もこう記していますが
わたしはただその精神力、そうその精神力に感服するのです。
もちろんやりたいとは全く思いませんが…
単純にすごいな、と思うのです。
しかし、泰平の世であった江戸時代では、そこまで肚の据わったサムライは少なかったようで、扇で腹切りのジェスチャーをして首をはねてもらったり、毒を盛ってもらったりという事例もあったようです。
昔の日本人は、腹(肚)に魂が宿ると信じていました。
それは信じていたというより、ありありと感じていたのでしょう。
現代でも、腸は第二の脳といわれているように、そこに感情を司る神経が集約されてもいます。
体験されている方も多いように、ストレスは腹に溜まります。
現代でも使われている、肚(はら)に関する言葉も多いですよね。
「肚が据わっている」「肚をくくる」「肚では何を考えているのか」「肚の中をみられる」「肚落ちする」それらの共通点を要約すれば、「本心」と言えないでしょうか。
話は逸れますが、近頃「腸活」が流行っているのも、肚がやはり大事だと、無意識的に、改めて感じてきているからではないでしょうか。
腸内環境を整えることは、非常に大事で、発酵食品などを摂ることで多様な菌を共存させることが、いいそうですね。
(それは人間社会でも同じではないでしょうか)
日本には昔から、とても多様な発酵食品がありましたから、そういった面でも、結果的に肚を整えていたのですね。
「私は己の魂が宿るところを開いて、その状態をお見せする。
それが汚れているか、潔白であるか、とくと貴方の目で確かめよ。」
以上を踏まえてみると、新渡戸氏が本章で引用している、このサムライの言葉の真意が感じられます。
さて、仇討ちについてです。
法律制度が現代ほど綿密に整っていなかった時代、自らの手で裁く仇討ちをよしとする風潮もあったのでしょう。
しかし、それは「義」のためでなければならなかったようです。
以上...笑
さて!次回は、やってまいりました武士の魂「刀」編です。
「武士道にとって刀は魂と武勇の象徴であった。」
新渡戸氏はそう記しています。
皆さんは、子供の頃チャンバラごっこしませんでしたか?
あと、旅行先でなぜか木刀を買ったり笑
刀は、純粋に男子の心を湧き立たせる何かがありますね。
それでは次回も、お楽しみに!!
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