【武士道 part 9】 ~第五章「仁」慈悲の心 ~
※新渡戸稲造著「武士道」を、私なりに編集してお届けしています。
「仁は人の心なり、義は人の道なり。」孟子
さて、今回は「仁」についてです。
王者の徳ともいわれる「仁」
しかし、現代ではあまり日常で耳にすることはすくないですよね。
一体どのような徳目なのでしょうか?
新渡戸氏の言葉を頼りに、詳しく読み解いていきましょう!
「愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち仁は、常に至高の徳として
人間の魂がもつあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認めれれてきた。中略
それ自体が多くの徳目の中でも光り輝く得であり、偉大なる王者にこそふさわしい徳であるからである。」新渡戸稲造
一体そう言われるゆえんはなんなのでしょうか?
新渡戸氏は『「仁」は、優しく柔和で母のような徳である。』
と記しています。
しかし、サムライたちは正義や公正さをもつことなしに、むやみに慈悲に溺れることを戒められたそうです。
かの有名な武将、伊達政宗がこういった言葉を残しています。
「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる。」
有名な「武士の情け」ということばがありますが、
それは、強いものが弱いものに手を差し伸べる「仁」だったのでしょう。
まさに、ノブリスオブリージュにふさわしい徳だったのですね。
その仁を養うのに、サムライは詩歌をたしなんだといいます。
新渡戸氏はこう記しています。「このような文学的素養をサムライに奨励したのは、より穏やかな姿を表面に保ち、同時にその心根を養うためであった。
それゆえに日本の詩歌には哀感と優しさが底流に流れているのである。」
なるほどですね。
戦闘者らしい勇猛でたぎるような熱い気持ちを冷ますためにも、詩歌にふれて自然や他者に思いをめぐらすことが大事だったのでしょうね。
徳目というのはバランスでできていて、互いが互いを補っており、どれが欠けていてもダメで、バランスよく養うことがサムライの人格形成にとって必要だったのでしょうね。
食生活と同じですね!
心をバランスよく養う武士道、なんですね。
「仁」がなぜ王者の徳といわれるのか、私なりにまとめてみます。
優しさ、慈しみ、愛情、寛容さ。
それだけでは軟弱だけれども、それがなければ他の徳を活かすこともできない。
なんのために徳を積むのか?
その優しい心を、社会に活かすためなのだと思います。
だから、仁は人の心なり。なのでしょう。
なにごとも心がこもってなければ、虚しいものですもんね。
こんな時代だからこそ、”こころ”を大事に生きていきたいですね!
はい、次回は「礼」についてです。
「礼」は今でもよく聞きますし、馴染みがありますね。
しかし、そもそも「礼」とはなんだったのでしょうか?
改めて考え直してみるのも、いいのかもしれませんね。
それでは次回もお楽しみに!
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