【武士道 part 14】 ~第十章 武士はどのように教育されたのか~
※新渡戸稲造著「武士道」を、私なりに編集してお届けしています。
●最も重視された「品格」
『武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成であった。それに対して、思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。』
この文章で始まる、第十章。
品格を中心に教育されたという、サムライ。
ではその品格を養う教育とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
今回も新渡戸氏の声に耳を傾けて、解き明かしていきましょう!
●「富は智恵を妨げる」が武士の信条
「武士道が損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇る」
そう言う新渡戸氏。
確かにサムライというと、清貧を尊ぶようなイメージがありますね。
新渡戸氏はこうも記します。
「武士は金銭そのものを忌み嫌う。金儲けや蓄財を賤む。武士にとってそれは真に汚れた利益だったからだ。中略
したがって武士の子は、経済のこととは全く無縁に育てられた。
経済のことを口にすることは下品とされ、金銭の価値を知らないことはむしろ育ちの良い証拠だった。」
徹底的に嫌っていますね…苦笑
そんなに金銭が汚いものなのでしょうか?
現代は資本主義に毒されているから、そういうのだと言う声も聞こえてきそうですが、もっとその感覚の本質的部分を掘り起こしていきましょう。
「武士道が倹約の徳を説いたのは事実である。だがそれは経済的な理由からではなく、むしろ節制の訓練のためだった。贅沢は人間を堕落させる最大の敵とみなされ、生活を簡素化することこそ武士階級の慣わしであった。
それゆえに多くの藩では倹約令が施行されたのだ。」
私がここから感じ取るのは、精神性を尊んだがゆえに、金銭から引き起こされる邪で肥大な我欲の毒素から守るためだったのではないかとなと、感じました。
がしかし、江戸時代において、幕府以外の藩や武士階級が力を持つことを恐れての教育の刷り込みという意味もあったのかもしれませんね。
農工商のように何かを生産して経済を回すわけでもない。
むしろ、その労働利益から吸い上げて生きていたのが武士階級。
しかし、少し見方を変えてみましょう。
日本の封建社会にとって精神的支柱となっていた武士。
彼らは経済の流れにあえて踏み込まないよう教育され遠のき、それを包み込み、社会の安定化や精神性の伝承をすることなどにこそ、存在価値があったとも言えないではないでしょうか。
武士道は広く庶民の世界にも浸透し、国民道徳の礎となったとも言われています。
つまり、今の私たち日本人が、世界でも尊敬される道徳心をゆうしているのは、サムライの先達のおかげさまでもありますね。
そして、そのサムライの教育の三本柱が、「智」「仁」「勇」つまり、「知恵」「仁愛」「勇気」だったようです。
知行合一、とにかくサムライは行動の人として教育されてきたようです。
それらの教えから養われた道徳心を、一言で言えば、「品格」ということになるのでしょう。
本章の最後にはこんな言葉がありました。
「彼らは逆境にも屈することのない、高邁な精神の厳粛なる化身であり、あらゆる学問の目指すところの体現者であった。
別言するなら、鍛錬につぐ鍛錬によって完成された、克己に生きる模範であったのである。
この克己心こそすべてのサムライに求められた武士の教育の根幹だったといえる。」
つまり、「品格」を支えるのは常に「克己心」だったのですね!
はい!次回はその「克己 - 自分に克つ」についてです!
では、次回もお楽しみに!
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